随筆集 生と死

■組織人

●作者のことば

●近況報告

 

苛立・傲慢

岡本幹輝

 苛立は思いとおりにならないときに生ずる心理状態である。例えば、待ち合わせた時間と場所に相手がなかなか来ないときや、交通渋滞になって自分の車が進まないとき、パソコンの立ち上げや接続に時間が掛かりすぎるときなどにイライラは生じる。こういうときには相手を罵り、天を呪い、運の悪さを嘆いたりして、やり場のない感情の捌け口を、物を投げたり蹴飛ばしたりして紛らわす。自分がその原因を作った場合でもなかなか自分の非を認めたがらない。

 原因を作った相手の人を責めたい場合であっても、ストレートに面と向かってその相手の非を追及できない場合には同じことである。プロ野球のピッチャーが、自分の失投で打者からホームランを打たれて監督から降板を命じられたときなど、相手の打者が悪いとは言えず、また監督批判はご法度なので、感情の持って行き場に困って、ベンチに帰ってグラブを投げつけたり、壁を蹴ったりして八つ当たりしているシーンはテレビでもよく目にするところである。

 しかし、イライラした感情をぶつけてもよい人や組織という対象が存在する場合には、八つ当たりなどはせずに、たとい自分の非であっても、これをその相手の非に転嫁して責めるのはまず通常のことである。この場合に問題となるのはその相手なる人や組織が、自分と対等かそれ以上の地位にあるときには、その相手を責める場合には慎重になり、本当に自分に非が無かったか、あるいは、相手に楯突くことの得失をよく勘案し反省した上で、抑制の利いた言動を取るので大きな過ちに至ることは少ないであろう。

 反対に、責める相手が自分よりも地位が低く、なおかつ、自分がその相手の地位をコントロールできる権力を持っている場合には事情は違ってくる。このように原因を作った相手が自分よりも見下せる立場にある場合には、自分の方にこそ責任があると解っていても自分の思うように行かずにイライラしたときには、たいていは反省もなく自分の地位や立場を利用して、相手が困り屈服して結局は自分の言いなりになるだろうと推量する行為に及ぶ。その際、そのときに問題となっていることとは関係のない理由付けを取るのも一般である。たとえば、殿様の振る舞いを間違っているとして至誠あふれる諫言をした忠臣に対して、また、企業や組織が違法行為をしていると外部に通報した内部告発者に対して、あるいは地位を利用して公金を着服したり、上役の恣意にわたる隠れた乱行淫行を指摘した部下などに対して、切腹を命じたり首にしたり、能力がないからとか小さな落ち度を取り上げて格下げや左遷したりするような場合がある。たとい自分がこのような上の立場にいない場合であっても、同僚や友人を陥れるため、あるいは自らの立身出世のために、上役に取り入ってその権力を利用するために讒言する場合も同様である。

 このように権力をもっている立場にあったり、あるいは、そのような権力者に媚を売る者たちが、正論を述べる相手に違法な権力行使をする心理状態は、苛立ちにあったと見てまず間違いないであろう。そして何故苛立つのかといえば、それは、計画した予定通りに何の抵抗もなく自分が思うとおりにやれる筈のところが、邪魔立てされてできなくなったというところから来るものである。これは何らかの権力を持っていると自負する者たちの傲慢にこそ、その苛立ちの原因があることを示している。

 一方で、全てこの世のことは思い通りにはいかないものと諦観している権力に無縁な一般の人たちは、待ち合わせに相手が遅れたり、交通渋滞で自分の車が進まなかったりしたなどの場合以外には、ふつう一般の日常生活において傲慢な心理状態にはほど遠いので、イライラするようなときは少ないと思われる。しかし実は、相手が遅れたり、交通渋滞に陥った場合でも、自分の予定通りに相手が行動するべきだとか、スムースに走れるのが当然であるとかの思い上がりが、彼ら一般の権力には無縁の人たちにも、無意識のうちに生じているのである。しかし、待ち合わせた相手が遅れた場合には、契約違反の責任は相手にあるのだから後でしかるべきペナルティを払って貰えると心得て、一定の猶予時間が経過したらサッサと自分だけで次の行動に移ればよいし、交通渋滞のような場合に遭遇してもこれを運命と受け止め、成るようになるさと達観すれば苛立つこともなくなろう。

 そのような心理状態は厳しい修行によって到達した高僧の心理状態なのだから、それは無理だとは思ってはならない。心の持ち方次第なのだ。何事も成るようになるさと割り切って、有りのままを素直におおらかに受け止めればよい。

 苛立つか否かは、そのとき自分が権力者の地位や立場にあるか、又はそのような地位に憧れているかどうかを判定するバロメーターとしてのリトマス試験紙なのだと考えるべきである。苛立と傲慢とは違う言葉と思われるかも知れないが、これらは裏腹の言葉である。イライラしたときには、自分がいま権力者の心理状態に陥っているのだと謙虚に身を引き締めるべきなのである。

以 上

Copyright (C) 1990- Okamoto Mikiteru . All Rights Reserved