集団主義と個人主義
ムレ ヒトリ
岡本幹輝
日本では、個人主義者とみなされると、自分の利益つまり我利のみを主張する利己主義者ではないのかと混同されたり、または、協調性のない、周囲と折り合いの悪い変人というマイナスの評価を下されることが多い。狭いムラ意識の濃厚な閉鎖的な社会である日本では、なによりも同質性が大切にされ、他人とは変わっているということだけで除け者扱いにされかねない。そこでは、弱い存在であるひとりひとりの個人を大切にして、自分ばかりではなく他人に対しても思いやり、全体や集団の非合理的な大きな圧力から守ろうとする個人主義者は常に誤解されている。
また、一般に『主義者』というとイデオロギー過剰な危険思想を確信的に保持している人のような意味に受け取られかねないので、この個人主義者というネーミング自体も適当ではないのかも知れない。当人としてはひっそりと静かに生きたいのであって、決して高らかに自らを主義者だと表明しているわけではないのにも拘わらず、他からはそのような生き方を定義上で分類して、広く個人主義者と名づけることが便利なので、そう称されることも誤解を生む一因となっているのかも知れない。
人間も含めて、動物の多くは群れを作って行動する。外敵の攻撃や自然の猛威から身を守るために、また、食べるために連携して狩りをしたり餌場を探しに広く情報を得て移動するために、あるいは巣づくりや子育てのために集団を作る。いずれも単独の個だけでは実現できない大きな効果を求めての集団的行動である。
集団が効率的に統一行動を行うために、リーダーが選ばれ、内部規律も自然に形成されてくる。ここに組織が生まれてくる。その結果、個としての自由な行動は制約され、場合によっては自由な個の存在自体が組織の行動を乱すものとしてリーダーの命令により罰を受けることもある。それでも協力して生きることで大きな効果を得るためには己むを得ないこととして、個としても受け入れを納得する。あくまでも、危機管理としての生活防衛的な意味においてである。
ところが、強い権限を持たされたリーダーは、いつの間にか内部規律を強化しこれを利用して、組織の生活防衛的な目的を超えて、自らの地位保全のために強い権限を手放さずに個を管理しようとする。外敵の攻撃が止み自然の猛威が治まっても、また組織員の胃袋が満たされても、あるいは巣作りが完成し子育てが一段落した後でも、仮想の敵をでっち上げ危機を誇大に強調したり、又は必要以上に富の獲得を目指して幻想を振りまき、あるときには略奪のために防衛を装って他の組織を攻撃したりする。場合によっては権力の確認や示威のためだけに、儀式や肩書などを用いたり、組織の象徴として旗や歌を与え、組織員の忠誠心を試したりする。
これでは、自由な行動に復帰したい個としては、いつまで経っても、もともとの自らの立場を取り戻せない。『もう危機は去ったし腹も満たされたのだ。これ以上の富を求めるよりも自由に遊んだり眠ったりしたいのだ。放っておいてくれ!もちろん、また危機になったら組織の一員として力を合わせて協力するのだから、反組織分子だとか一匹狼だなどとあまり厳しいことは言わないでくれよ。自分はそんなに強くはないんだから・・』 個は切実で悲痛な叫び声を上げている。 以 上 |