組 織 人
岡本幹輝
日ごろから、温厚篤実で礼儀正しく謙虚な人物と見做されている人が、何かの折に、その人の属している組織の不祥事が発覚して、組織を代表して弁明する立場に立たされたとき、白々しく嘘を述べたり、開き直って強弁するようなことを目にすることがある。その人を知っている人から見れば、なぜあの人がと意外の思いがしたり、立場上言わされているのだな可哀想に、と同情の目で見つめていたりする。
しかし、その人が二重人格者なのでは決してない。その人が、そのような普段見慣れているのとは違った言動を行うのも当たり前のことなのである。個人の立場と組織人の立場で異なる言動を強いられるのは、個人と組織のレベルが異なる以上当然のことである。
ここでレベルという意味は、歴史的な成熟度によってその人や組織が到達した、主として道義面における完成度のことをいう。自然人(ヒト)についてならば、生まれついての資質や環境に加えて、その後に習得した経験や勉強・鍛錬による総合的な人格識見といった意味のものである。組織全体についても、これを個体として見れば(法律によって法人というヒトと同様の性格を与えられる場合もある)、同じようなことが言えよう。
しかしながら、人々の集まりであるが一個の個体でもある組織体は、それを構成する人々の成熟度とは離れて、その組織自体の独自の歴史的な成熟度を持つのである。100%同じ成熟度の高い人々から構成されている組織であっても、その組織体の成熟度は、未熟であるということも充分にありうるのである。たとえば、主としてイギリスを中心とするヨーロッパ人によって建国されたアメリカ合衆国が、成熟度の高いヨーロッパ諸国とは異なって、未熟と言っても良いほどの若々しい政治上の動きを示すことは、われわれもよく知っている。二千年以上の激動の歴史を潜り抜けてきたヨーロッパ諸国と、たかが二、三百年の歴史のアメリカ合衆国とでは、成熟度に違いがあるのも当然である。
このように、個人とその人が所属する組織とでは、成熟度に違いがあり、概して言えば、生物学的な寿命が短いがゆえに成熟へのスピードも速い個人の方が、個体しての寿命の長いがゆえに成熟速度の鈍い組織体よりも、成熟度が高いと考えられる。したがって、組織内での構成員として個人が振舞う場合には、成熟度の高い人ほど組織体と個人との考え方の差(ギャップ)に苦しまなくてはならなくなる。苦しみなぞ全く感じないで割り切れる人、ある意味ではそのような人は良心的な成熟度が低い人だとも見做せるのであるが、そのような人は、かえって、自分はおのれを捨てて組織や仲間のために崇高な犠牲を払ったのだと納得して、世間一般の批判もどこ吹く風とばかり厚顔無恥とも感ぜずに、むしろ、得意な気分に浸っているかも知れない。考えようによればそのような人こそ、まさに組織の求める組織人と言えて、組織内で重要なポストを得ていける人なのかもしれない。
しかし、自らを成熟度の高い良心的な人だと見做せる人は、自らとその所属する組織体とのギャップの苦しみに耐えかねて、自殺に追い込まれることも少なくない。そのような人は本来、そのような組織に入るべきではなかったのであろう。
もちろん、誰でも人々は自らの選択の意思に関係なく、否応もなくいずれかの組織に組み込まれる場合がある。国家という組織体に国民として、市区町村に住民として、あるいは、家という組織体に家族・親族として、公立の小中学校に生徒としてなどである。自らの意思でこのような組織体から抜け出すことは出来なくはないが、しかし、かなりの困難や苦痛が伴う場合もある。しかし大部分の人々は、国家や市町村に国民や市民という立場に居続けることにはそれほどの不自由さや苦痛などのギャップを感じないであろう。その理由は、それらの構成員になっていても、居心地はそれほど悪くはなく(徴兵制度のある国家や独裁者の治める組織体の場合は違ってくるが・・)、また、政府の要員や役場の人間ではない場合には、組織を代表しての言動を要求されることが少ないからであろう。
しかし、職場の選択となれば話は違って来る。会社に入れば従業員として会社という組織体の構成員(販売員など)となって、会社を代表した言動が新入社員の段階から要求される。公務員となっても同じことである。いずれもこれら組織体の構成員に対する組織内での規制の厳しさは、極めて高いものということができる。収入という面を離れれば一見自由で制約のなさそうな個人経営の商店主だとしても、業界や商店街の構成員としての顔を持たされる。自由業としての代表格と見做される弁護士ですら、いずれかの弁護士会という組織体に入らなければ活動できないことになっている。問題は結局、組織体の成熟度と自らの成熟度とのギャップがどの程度なのかという問題に帰せられよう。
したがって、学窓を出て新たに社会人として職業を選択する若者にとっては、自分が入ろうとする新しい職場がどのような成熟度の組織体なのかを、慎重にも慎重の上、見極めて選ぶ必要がある。自分と成熟度の差が小さいか、成熟度に差はあっても、外部にその組織体を代表するような仕事は少ないか、組織体内部の統制は緩やかか、そういった基準で判断しなければならない。さもないと、給料がいい、世間体がいい、長く勤められる、仕事が楽だなど、かつては選択の一般的基準になっていた大企業や官公庁への就職であっても、将来、おのれの良心に反して組織を代表して弁明させられたり、テレビカメラの前に一列になって頭を下げるような醜態を曝け出さざるをえない事態になることも、覚悟すべきである。そのような大企業や官公庁は、成熟度の点で見れば成長どころか既に停滞・退歩の段階に入っているやも知れないのである。
制約も少なく、出来る限り自由な個人単独生活を楽しめるようになるのには、ある意味では、健康を維持しつつの、老後の年金生活者になってからぐらいかもしれない。 以 上 |