随筆集 生と死

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慈善と偽善

岡本幹輝

 「あの人は情け深い人だ」という表現は、極めて高評価をその人に与える褒め言葉である。ある意味では、人格高潔にして弱者に対する思いやりも持った財産豊かな高貴な人を指す場合も多いので、まず最高の表現と言ってよい。情け深いと同じ意味の慈善という言葉は、福祉と同意義となり、意識的に国家や政府が自らの施策が優れたものであることを誇るために福祉事業とか福祉国家と名を付して、貧民や病気の人に施しを行なうことなどをする。女王や王族、皇族の妃殿下などを名誉総裁に戴いた財団法人を作り、『恩賜病院』や『恩賜公園』などを設立したりするのである。 

 しかしこのように誰が施しをしているのかが明らかな事業や行為は、本当に弱者に対する思いやりの愛の精神からしたものと言えるのであろうか。誰でも他人に施しを与える行為は気持ちがいいものである。弱者に対する強者の優越感が充たされるので、ましてその行為が公然となり情け深い人との評判が立てば立つほど、尚更のこと、内心は誇らしさで鼻高々である。なるほど、施しはしないよりはした方がよいのではあるが、そのような公然とした行為は、あえて言うならば、慈善ではなく偽善と言ってよいであろう。

 弱者に対する思いやりの施しの行為は、自分は名を伏せて、隠れてなすべきなのであろう。弱い立場の相手の背後にまわって、ソット支えてやるべきなのではないであろうか。誰がしてくれたのか施しを受けた人に判ってしまうと、その施しを受けた人は、施してくれた人を恩人として負い目を負わなければならないことになる。禅宗では雲水が托鉢で喜捨を受けるに当たっては、誰が持鉢に何を入れたのか判らないように、目を伏せて経文を唱えることになっている。自らが施しをしてくれた相手を意識しないようにするとともに、その相手も恩着せがましい心理状態になるという宗教上の罪に陥ることのないように、配慮してやる思いやりの気持ちからでもある。

 チャップリンの名画 『街の灯(City Light)』 では、盲目の花売り娘の失明を治すために、浮浪者の主人公は、相手が大金持ちだと自分を誤解している(どうして全盲の娘が見ず知らずのみすぼらしい服を着たチャップリンを大金持ちだと誤解するのか、この出会いのシーンを監督でもあるチャップリンは数十回撮りなおすのであるが、それはまた別の話)のに、これをあえて訂さず大金持ちを演じ続け、犯罪者と間違われて牢獄に入れられるようなさまざまな苦労をしてまで、治療費を稼いで彼女に与える。やがて出獄して街をさ迷い歩くチャップリンは、花売り娘が目が見えるようになって立派なフラワー・ショップの女主人となった姿を発見して喜ぶのであるが、その面前から、哀れな乞食姿のままソット立ち去ろうとしたのである。

以 上  

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